井手会長は語る

  2013年2月1日 【中日新聞】

        救急医療整備、交通事故加害者の厳罰化を 
                               全国交通事故遺族の会 元会長夫妻に聞く
   

 

        

 

 国に加害者の厳罰化などを訴え続け、交通死者数は1991年の発足時に比べ半減した。
  医師で会長を務めた井手渉さん(77)に、妻の政子さん(63)と共に歩んだ「全国交通事故遺族の会」の21年間を振り返ってもらった。

「遺族の会」は被害者同士が支え合う自助団体の草分けだった。

 「1990年、高校3年生だった次女の陽子=当時(18)=が、通学途中にトラックにはねられ亡くなった。
 当時、交通事故の死者数は年間1万人以上。『交通事故だから仕方ない』という風潮が顕著で、被害者の救済機関はなかった。悲しみと怒りを共有する場をつくろうと新聞で呼び掛け、3遺族が集まった」
その後全国各地に支部ができ、会員は多いときで1000人を超えた。
 「それだけ救いを求める人が多かった。会費で運営し、弁護士を招いて法律相談をした。妻が中心となって電話を受け、泣きながら2時間も遺族の話を聞いたこともあった。会員で裁判を傍聴し、法律の勉強会も開いた」

命の尊さを子どもたちに伝えてきた。

 「会員は子どもを亡くした人が多かった。渋谷や新宿など若者が多い場所で、事故防止を訴えるチラシを配ったことがある。ほとんど無視され、受け取ってくれたのは20人に1人ほど。それでも続けたのは、若者の未来を守りたかったから。小中学校で講演もした。『交通ルールは必ず守る』などの感想文をもらい、『娘の死は無駄ではなかった』と思えた」

国には加害者への厳罰化を訴えた。

 「娘の事故の加害者は、過去に4度も人身事故を起こしていたのに不起訴だった。厳罰化へ法改正を要望し続けた。その結果、2001年に『危険運転致死傷罪』が創設された。刑の上限は業務上過失致死罪の懲役5年から20年に。だが飲酒事故でも不適用のケースも多い。適用基準を明確化する必要がある」

脳死臓器移植にも反対してきた。
 「娘は病院に運ばれてから容体が急変して脳死になり、4日後に亡くなった。10年の法改正で、本人の意思表示がなくても、家族承諾で脳死下で臓器提供が可能になった。

   だが家族はパニック状態で、正常な判断はできない。初めから移植ありきで、脳死者を待つような雰囲気はおかしい。まずは医師を増やすなど、救急医療体制の整備の方が優先だ」

会解散の理由は。

 「11年の事故死者数は約4600人と、91年当時から半減。会員も400人を切り、電話相談も減った。死者数減に私たちも一役買ったと思う。やることはやったし、若い会員を中心に新しい自助団体もできた。ひき逃げの厳罰化など、やり残した課題を引き継いでほしい」

新組織、趣旨を継ぐ。

 「遺族の会」解散の一方、元会員が趣旨を引き継いだ新たな組織を立ち上げた。11年前に水戸市内で小学5年の長女をひき逃げ事故で亡くした大野玲子さん(52)=山梨県韮崎市=は、昨年11月に「ひき逃げ遺族の会」を設立。「ひき逃げの刑罰を適正化すべきだ。より重い危険運転致死傷罪の適用を国に求めていく」

 3年前、母親=当時(75)=が自転車にはねられ亡くなった東京都稲城市の会社員、東光宏さん(42)は昨年7月、「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」を発足させた。「高齢者が増えている。たとえ自転車事故でも加害者への厳罰化を訴えていく」と話す。